谷があったら山もある
またまた血なまこブログから遠ざかってしまいましたが、
突然の父親の死から13日後、元気な男の子を出産しました。
結果から言うと、
計画出産だった割に、薬を投与した後も予定通りにお産が進まず、20時間の陣痛に耐えたものの、その長いお産のせいで赤ちゃんが疲れ、心拍が弱くなってき始めたため最終的に緊急帝王切開になってしまいました。
もし赤ちゃんが促進剤に耐えられそうもなかったら帝王切開になります、と最初から言われていたものの、それまで順調な妊娠生活を送っていた私は
「いや、私の赤ちゃんは耐えられるはず」
とどこからともなく来る自信がありました。
担当の先生が大体2、3時間おきに私の病室を訪れ触診で子宮口の開き具合を確認。
3センチ、4センチ、と毎回少しずつ開き始めてはいたのですが、9センチからはなかなか開かず・・。
本格的なお産に入る為には10センチの開きが必要でしたが、この最後の1センチが赤ちゃんの体力があるタイムリミットまでに広がらず
先生に、
「本当に言いにくいんだけど・・・とっても残念だけど、赤ちゃんの安全を考えたら帝王切開にする方がいいです・・」
と手を握られて告げられました。
自分の力で分娩したかった私はこの事実をなかなか受け入れられず号泣。
しかもこの20時間の間にモルヒネを打ち、無痛分娩のためのエピドレル(麻酔)まで打って陣痛を乗り切り、分娩に備えたのに、その1時間後に帝王切開にしますというこのバッドニュース。
どうしても「わかりました」と頷けない私でしたが、どう考えても赤ちゃんの無事が最優先なので涙ながらに承諾。
しかし12時間ほどずっと私の側にいてくれたナースが私を手術室に移送する準備をしてくれた時に破水と出血でびしょびしょになっている私のベッドを見て
「かなり出血しているのでもしかして子宮口が10センチに広がってるかも。最後に念のためもう一度触診してあげてもらえませんか?」
と担当医に連絡してくれました。
え?もしかして帝王切開じゃなくなるかも・・!
父親が空から見てくれていて自然分娩を後押ししてくれてるのかも!
と、またどこからともなく理由のない自信がフツフツと湧いてきたものの、結局子宮口は相変わらずの9センチ止まりでサラッと帝王切開が決定。
この時はさすがに諦めがつきました。
その後全く心の準備ができていない私は帝王切開についてなんの予備知識がなかった為、やっと赤ちゃんと会える!という楽しみよりも、”今から腹を切られる”という脅迫めいた恐怖に襲われ身体の震えは止まらず、吐き気まで催す始末。
緊急帝王切開の為、一刻も早く赤ちゃんを取り出さないといけないという状況下の先生方の準備の早さが私の恐怖心をさらに煽りました。
麻酔のせいで全身が氷水に漬けられているのかと思うほどキンキンに寒くなり、歯は音を立ててガクガクし、近くに物があったら落としてしまうほど左右に震える腕。
私をリラックスさせるための、出頭医の明瞭で丁寧な説明も左から右へと流れ、何一つ頭に入りませんでした。
こういう時にポン太くんに手を握っていて欲しいのに、メスが入れられる直前までは付添人は手術室に入れない決まりになっていたようで、この間はずっと付き添ってくれていたナースが私の手を握っていてくれてました。
その後手術服に着替えたポン太くんが登場し、藁にもすがる思いでナースからポン太くんの手に乗り替えた直後、私のお腹に容赦なくメスが入れられました。
当然痛みはなく、胸から下はカバーで覆われていて何も見えないので一体今何をされているかどんな風になっているか想像もつきませんでしたが、わずか5分後には「Wow He has a lot of hair!」と言うコメントが足元の方から聞こえ、その1分後には私の真隣にいた医師から「はい、赤ちゃん出るよ〜!」
え、もう!?
次の瞬間、ドラマでよく見る「おぎゃ〜おぎゃ〜」という産声が手術室に響き渡りました。
この時は”本当にオギャーって泣くんだ”ととても冷静でしたが、
ポン太くんがへその緒を切り、私の胸の上に生まれたばかりの息子を置かれた時は感動し過ぎて涙が止まりませんでした。
予定より3週間近く早く生まれてきた息子は2380gとかなり小さく、ガリガリでシワシワで見るからにか弱かったですが、保育器に入る必要もなく、身体チェックを全てクリア。
大きな問題もなく無事に生まれて来てくれたことに感謝の気持ちしか生まれませんでした。
誕生から1ヶ月半。
思えば父親が他界した、あの試練の1週間からすでに約2ヶ月が経過。
毎日息子の世話に追われるおかげで父親の死に思いを馳せる時間がぐっと減りはしましたが、未だに突然奈落の底に突き落とされたような気持ちになることがあります。
父親の死という人生最大のショックを和らげるかのように、その13日後に人生最大の喜びとして生まれて来た息子。
本当に人生って不思議だなぁ。
実はポン太くんのお父さんも数年前に他界しているので、息子にはおじいちゃんがいません。
生きていたらたくさん甘えさせてくれていたであろうおじいちゃんを失った自分の息子にもなんだか申し訳ない気持ちになっていましたが、あんなにガリガリだった彼も今では体重が倍になり、すくすく、ぶくぶく日に日に大きくなっております。
生後3ヶ月を待って日本に一時帰国し、父親のお墓参りに息子を連れて行って会わせてあげる予定です。
お墓の中から「抱っこしたかったなぁ〜」っていう心の叫びが聞こえるんじゃないかって予感がしてますが本当に聞こえて来たら恐怖ですね。
今は10時間の飛行機の中でスヤスヤ眠ってくれることを願う日々です。
つづく。
試練の1週間
しばらくブログから離れていました。
というかブログを書いている場合じゃない出来事が起きてしまったのです。
私の父親が亡くなりました。
先々週の出来事です。
元々大酒飲みで肝臓の数値がかなり悪く、去年道端で倒れ、2ヶ月入院して以来5ヶ月ほどの断酒に成功していたのですが、今年の新年を祝おうとビール二本に手を出したことをきっかけに、また毎晩の飲酒が始まってしまいました。
医師からは去年の退院時に”これ以上飲んだら長く生きられません”、と言われていたのにもかかわらずアルコール依存症を発症している彼は自分の意思でお酒をやめることができず、死ぬはずがない、と先生たちの言葉をも信じていませんでした。
誰よりも私の結婚と妊娠を喜び、初孫が生まれてくるのを楽しみにしていた父。
母親や叔母から父の生活や飲酒の状況を聞いていた私は
「このままだったら赤ちゃんが生まれる前に死んじゃうんじゃないか」
という嫌な予感がしていました。
この不安な気持ちをぶつけてなんとか飲酒をやめてもらおうと、説得の電話をすると
「何言ってるの。大丈夫だよ〜。死ぬわけないって。もう分かったから。心配してくれてありがとう。でも大丈夫だからもうほっといてくれ。」
の一点張りで、電話するたびに私が同じことを言う為に数ヶ月前から父親は電話に出てくれなくなりました。
お酒をやめられないことで後ろめたい気持ちがあったのだと思います。
電話で話した時はいつも
「赤ちゃん生まれたらお母さんとカナダに遊びに行くからね」
「今ちゃんと旅行のお金貯めてるから」
「お金が貯まったらまたモンゴルにも行って馬で駆け回る」
乗馬が大好きだった父はモンゴルで一日中馬に乗っていたことがあって、それが楽しくて仕方なかったらしく、また行きたいと何度も何度も言っていました。
カナダに来ても絶対に乗馬したい、と意気込んでいて初孫が生まれるのを今か今かと待ち望んでいたのに・・。
電話で話すたびに、私は父が断酒できていないことに怒りを露わにし叱責していました。
今思えばあれはなんの意味もなかったことだし、そうすることによって父親は楽しい会話から一転、気分を害し私と電話すること自体気が進まなくなっていったのだと思います。
最後に会えたのは前回私が一時帰国した2020年の1月。
最後に電話で声を聞けたのはおそらく3ヶ月ほど前。
悔いが残ることだらけです。
臨月で飛行機に乗ることもできず、最期に立ち会うことはおろか、お通夜にもお葬式にも出られませんでした。
Zoomでリモートで参加したものの、自分の父親のお葬式にも出られないなんて・・。親不孝もいいところです。
父親が亡くなったと分かった翌日、私の妊娠検診があり、詳細なエコー検査に行かなければいけませんでした。
ショッキングな出来事は続くもので、お腹の赤ちゃんが週数にしてはかなり小さいことが告げられました。
36週と1日にして推定体重1.9kg。
ドクターから
「あなたは小さい人だから赤ちゃんが小さくても不思議ではないんだけど、それにしても小さすぎる。これは胎盤に何かしらの異常がある可能性を示していて、そうだとしたら赤ちゃんをお腹に入れておく方が危険。
37週になったら正期産になるからその日に促進剤で出してあげましょう。来週の水曜日ね。」
・・え?
日本とカナダの出産に対する考えはかなり違うところがあって、赤ちゃんが小さいと判断された場合、お腹の中で育てるのではなく、早めに出して外で栄養を与えて育てる、ということがしょっちゅうあるようで。
実際こちらで出産した日本人のお友達二人も全く同じように赤ちゃんのサイズが小さいがために促進剤で早めに産んでいました。
その事実は知っていたのですが、今までの検診では一度もそんなことをほのめかされたことはなかったし、私の赤ちゃんは標準サイズで大きくなっているとばかり信じていました。まさか今までその事実は分からず、こんなに急に告げられるとは・・。
でも来週の水曜日って・・。私まだ働いてるしその日・・。
妊娠の経過が順調で特につわりもなく仕事のスケジュールを変えることなく働いていた私は37週と2日まで仕事をする予定でした。
ドクターに37週と0日じゃないとダメなのか尋ねたところ
「うーん。金曜日にはもう赤ちゃん抱いてると思うよ。」
という衝撃的な答えが。
父親が昨日死んで、そのちょうど1週間後に新しい命が誕生する・・の!?
と思うとほぼパニック状態に陥り、頭の中は真っ白。
産休に入ったらやろうと思っていた赤ちゃん部屋・グッズの準備や断捨離なども何もまだ始めていない状態で、何よりも父親の死のショックで赤ちゃん誕生に向き合える精神状態では決してありませんでした。
頭も心もぐちゃぐちゃでただただ混乱の中にいる私でしたが、衝撃的な検診が終わり次第急いでいつも通り仕事に行き、頭を完全に切り替えて父親のことは考えずに笑顔で仕事をこなしました。
たまたまこの週に1週間休みを取っていたポン太くんに急遽赤ちゃんを迎える部屋の模様替えを頼み、この日から二人で家具の再配置、掃除、断捨離、ベビー用品の買い出し、収納を数日間かけて行うことになりました。
その間ほぼ毎深夜、父親とのお別れの儀式にZoomで参加し、毎日泣いて毎日寝不足で心も身体もボロボロ。さらに部屋も大荒れで文字通りすべてがぐちゃぐちゃでした。
こんなに辛い一週間を過ごしたのは人生で初めてです。
どう考えても今自分は赤ちゃんを産める状態ではない。
もし赤ちゃんが大丈夫なら1日でもいいから待ってもらえないだろうか・・。
水曜日からの仕事を全てキャンセルしたものの、火曜日までは仕事をすると決めたので、一日も休まないまま赤ちゃんを産むことになってしまうのは体力的にも精神的にも追いつかなくて無事に出産できたとしても確実にすぐにバテてしまう。
その間も二日に一回病院に通い赤ちゃんの状態を検査していて、サイズが小さいこと以外は全て異常がなかった為、
ドクターに遅らせてもらうよう頼もう。今はどうしても無理だ。全部を抱えきれない。
そう決めてドクターと話した結果、数日ぐらいなら遅らせても問題ないとの回答をいただきました。
本当に良かった。
結局担当ドクターが当直をする日の前日から子宮収縮剤を投入して、時間をかけて子宮口を開き、その後赤ちゃんの心拍が下がらないようだったら陣痛促進剤を打ち、分娩という流れに。
結果的に5日間の猶予をもらい、部屋も完全に片付き、私の心もだいぶ落ち着いてきました。
赤ちゃんは知ってか知らずかお腹の中で元気に動いてくれていて、今は無事に産まれてくれること願うばかりです。
自分の父親の生まれ変わりなのかもしれないと思うと複雑で仕方ないですが、今日からいよいよお産が始まりそうです。
つづく。
過去に囚われる
元彼にメールを返さないといけない、と思うだけで恐ろしく心が沈み、めちゃくちゃ嫌な気持ちになるのに、会わないといけないと思うと吐きそうになることに気づいた私。
一体どうするべきなのが正解なのかアドバイスを乞うべく、自分の友達や元彼の友達に相談。
するとみんながみんな口を揃えて
”会わなくていい。会うべきじゃない。別れたの一年前なのに今さらその相手に助けを求めるなんて弱すぎる。自分で解決しろ。第一妊娠してるのにあり得ない。”
とのこと。
うん、だよね。
みんなの意見を聞いて、やっぱり私が思っていたことは間違いではなかったんだと安心したフシもありましたが、反面、”会わない”を貫き通すことによってもし彼が自殺でも図ったらどうしよう・・彼今完全に頭おかしいし・・という不安がよぎりました。
友達によっては
”そうなったらそうなったでしょうがない。あなたのせいじゃないよ。”
という強い意見もありましたが、もしそんなことになったら残りの私の人生、でっかい十字架抱えて生きていくことになるじゃん・・(恐怖)と、私も私で行きすぎた妄想が膨らみ始め、こちらも精神的に追い詰められていきました。
しかし私がウダウダ悩んでいる間、SNSで自分の心情を吐き出していた彼が周りの友達から心配されて、いろんなところに旅行に連れて行かれていたのを私は知っていました。
SNS場でその旅行の写真もアップされていたし、これはもしやもう彼大丈夫なんじゃないか?と期待し、
勇気を出して「まだ私に会う必要ある?」
と彼にメッセージしてみると
「イエス。頼むから会ってほしい。〜月〜日以降ならいつでも会えるから。」
と日付指定のリクエスト。
旅行三昧で忙しいんじゃんよ・・。私だって暇じゃないんだよ・・。
この返答で再び引いた私は
意を決して
「悪いけどやっぱり会えない。私が今一番優先に考えないといけないのはお腹の赤ちゃんと旦那さんで、あなたじゃない。」
とハッキリとメールしました。
すると
「こんなに懇願してるのに、君は僕を助けたくないんだ・・」
と心情に訴えかけてくる返答。
すごくずるい。
私の性格だったら押せば会ってくれるとおそらく確信していた彼。
別れたとしてもまだどこかで気持ちが繋がってるはずと信じている彼。
自己中すぎるだろ・・。
会ったところで私は絶対にあなたを助けられないし、心情的に本当に会いたくないって言ってるのに・・。
もう何言ってもダメだ、この人・・。
この彼の一言で精神的にフラフラになりながら本当に仕方なく会うことを了承。
負けた気しかしませんでしたが、このまま頑なに会わずにいたら彼がどうなったのか、きっと将来的に自分の中での不安要素になり兼ねないと思い自分を説得した感もあります。
会うまで何日も日数があると”嫌だな〜会いたくないな〜”と日に日に私の心が沈んでいくのが分かっていたので会う日を2日後の朝、1時間限定で、と設定。
2日後の朝
彼はうちの玄関前に停めた車の中で待っていました。
どうやら私を車でどこかに連れ出したかったであろう彼。なかなか車から降りてきません。
運転席に張り付いている彼を覗き込み、出てこいと目で訴える私に屈し、二人分のお茶を手に持って渋々車から出てきた彼は3ヶ月前よりもかなり痩せていました。
海が見えるところまで歩いてベンチに腰掛け、一息ついた後に
「・・どこから始めたらいいんだろう。」と言いながら話し始めた彼。
彼が知りたかったことは私たちが別れた後私がどういう気持ちで、具体的に一体何をして今に至ったのか、一体どうやって気持ちを整理して前に進んだ(進んでしまった)のか、旦那さんのどこが好きなのか、どういった成り行きで結婚、子供を作ることになったのか、など私がスパッと彼を忘れて前に進んで本当に今一体どういう生活をして、本当に幸せでいられているのか、この生活が本当に私が望み続けた未来なのか信じられない様子でした。
彼に少しでも淡い期待を持たせてはいけない、と淡々とブレることなく質問に答える私を見て
「You don't love me anymore?」
と子犬のような目で聞いてきた彼に対して
何を言ってるんだ、こいつは。と呆れる私。
女の人はスパッと切って男の人は引きずる、と言うのは本当らしいです。
それもこれも彼の行動がスローで、このまま彼が仕事に就かず、関係的にも次のステップに進めないなら別れて他の人を探す、と涙ながらに何度も警告していた私をにわかに信じず行動を起こさなかった彼の自業自得とも言える結末なのです。
冷たい言い方ですが、別れてから一年近く経った後に話がここまで大きくなるなんて全く想像しませんでした。
逆を言えば今後私とポン太くんがうまくいかなくなって、やっぱり元彼に戻ればよかった、と思う日が来ないとも言えませんが、自分で選んだ決断を過去に戻って覆すことなんて誰にもできないわけだし、その時はそれがベストな決断だと思ったわけで。
彼もそのことは痛いほど理解しているはずですが、頭と気持ちが同じベクトルにならないから精神的に苦しんでいるのでしょう。
彼はこれから仕事を再開しながらカウンセリングと投薬を受けて少しずつ回復に向かう予定みたいです。
一日でも早く彼がこの苦しみから解放されることを願うばかりです。
つづく。
えらいこっちゃな元彼の心
元彼とこれを最後にもう会わないと涙の別れをした直後。
私はポン太くんと結婚しました。
元彼問題も解決した(と思った)し、これで心置きなく結婚生活に専念できる、と少しだけ安心した矢先。
SNSで自分の気持ちを吐露する投稿を始めた彼の文章は私の名前さえ出さないものの、どんなに私のことが好きで、それを乗り越えられないことがどんなに辛いか、人はこれほどまでに誰かを愛することがあるのか、など明らかに私に向けられたものでした。
それを読むたびにまた心が締め付けられ、自分は彼に悪いことをしたのだろうかと、胸が苦しくなる日々が3日に一回ほど続き2ヶ月が経過しようとした頃。
突然彼からEメールが届きました。
そこにはビデオが二本
「誕生日にプロポーズしようと思って作っていたビデオがようやく出来上がったので送ります。」
との文章と共に添付されていました。
え・・・・今さらビデオ・・?
いやいや往生際が悪いな・・。
確実に私たちが楽しかった頃の写真なりビデオなりがまとめられたビデオだろうに、そんなことしてももう私は彼に戻ったりしないのに・・。
そしてそのビデオを見ることによってまた罪悪感が蘇り精神的に私も揺さぶられる、ということも分かっていました。
でもせっかく作ったビデオ少しぐらいは見た方がいいのかな・・とよぎり、軽い気持ちで再生ボタンを押すと、二人の思い出の曲と共に笑顔の二人の写真でオープニングが始まったのですが、目を疑うことにこのビデオの長さが1.10.00と表示されていました。
・・1時間越え・・・?
再生ボタンを押した3秒後に停止ボタンを押し、即刻ファイルを閉じました。
やはり悲しい気持ちになって涙が溢れそうになったのもありますが、1時間超えのビデオを二本も送って来る彼の神経を疑った気持ちもあります。
即刻閉じたファイルはその後二度と開けることはなく、彼へメールの返信もしませんでした。
その後たまたま彼の友達に会った時にこのビデオの話をすると、その友達は
「そのビデオ、元々4時間ぐらいの長さだったんだよ・・。」
と一言。
異常だ。
映画でも3時間が限界なのに4時間って誰が見んねん。
彼からの愛情は痛いほど伝わってきますが、全てが遅すぎるの一言に尽きます。
そんなビデオのことは忘れ、平和な日常を過ごしていたのも束の間、約1ヶ月後にまた彼からLINEが届きました。
「来週会える?」
・・は?どういうこと・・?
なんだ、その彼氏的発言は・・。いやいや、もう会わないって決めたじゃないの。
会って話すことなんてもうないし、会ったらお互い治りかけの傷口を開きあって辛い思いをするだけ。
彼は未だに私を取り戻せると思ってなんかする気なのか。
それとも合計2時間のビデオに対して感謝もせず返信をしない私に怒り狂ってお腹の子共々殺してやるとか思ってたり・・。(恐怖)
精神的におかしくなっているであろう彼を触発しないように優しく理由を聞いてみると
「最後に会った日以来自分の精神状態が全く良くならずにむしろ悪化してるんだ。助けてほしい。」
え・・・。
助けるって・・。一体どうやって。
「本当のことが知りたい。もう自分の中で想像の答えを作り出すのをやめたい。君にしかこの答えは分からない。」
どうやら彼は5年以上も一緒にいた自分を秒で忘れ、その後すぐに付き合い始めた彼とまたまた秒で結婚を決めた私が幸せなはずはない、と思っているらしく。
何かと想像と妄想を膨らまし自分で自分を苦しめている様子でした。
ビーチで暗くなるまで話した時も、その後の彼からのメール攻撃の時も自分の本心も真実も全て話しているし、また会って同じことを話す気ははさらさらありませんでした。そうすることで彼を救うことができるとも思えません。
しかも妊娠している最中そんな精神的に追い詰められる状況に自らを置くことは無論赤ちゃんにも悪いし、ポン太くんだって私に会って欲しくないはず。
そんなに話したいなら百歩譲って電話はどう?と譲歩するも
「電話やメッセージだと相手の温度が分からないから意味ない」
と、いかにも私が嘘を言っている前提。
呆れた私は自分なりに”会うことによってあなたを救うことができるとも思えない。きっと状況はもっと悪くなる”という旨を伝えるも、
「今考えられる解決策は君に会うことしかない。
ずっと眠れなくて10キロ痩せたんだ。今医者に通って精神安定剤を処方してもらってる。こんなお願いをして本当に申し訳ないと思ってるけど会ってほしい。」
と懇願してくる始末。
どうしてもどうしても私に会いたい彼と、
どうしてもどうしても彼に会いたくない私。
つづく。
悪夢は続くよ、どこまでも
元彼から呼び出され密かに秘めていた彼の気持ちを吐露された私はそのショックがかなり大きくその後3日間ぐらい落ち込みまくりました。
会ったその日の深夜から毎日のように自分の思いを込めたメッセージが送られてきて眠れない日が続き、私もメンタルをやられ始めました。
どれだけ自分が私のことを好きで、この8ヶ月私を取り戻すためにどれだけ自分が頑張ってきたか、いつ、何が起きてこのような結果になってしまったのか・・・など、それはもうあたかも私が彼に対して裏切り行為でもしたのかと錯覚してしまうような言い方でメッセージを一つ受け取るたびにむち打ちの刑にでもあったかのような痛みでした。
しかし冷静に考えてみても今さら全て遅すぎるし、こっちはきちんと別れてから次の相手を探しただけで何も悪いことはしていない。
プロポーズするつもりだっただの新築を用意しているだの言われたところで申し訳ないとは思うけど嬉しくはない。
第一そんなに私のこと好きだったんなら、プロポーズしようと思ってたんならどうして付き合ってる時にそうしてくれなかったの?
元々彼と付き合い始める時に2年後を目安に結婚前提で、というスタンスで付き合い始めたのに彼が仕事がないという理由でズルズルと5年が過ぎました。
それまで耐えて耐えて彼を信じ続けた私も5年経った時についにタイムアップを感じ、何度も何度も別れるか別れないかの話し合いになりました。
最後の真剣な話し合いの時に私から元彼にプロポーズもどきみたいなことしたんです。
指輪を買ったわけではないし、サプライズも何もしてませんが、
「私はあなたと結婚したい。私があなたを養うから仕事のことは気にしなくていい。それでも近いうちに結婚できないと思うなら、私はもう待てないから別れよう」
と伝えました。
彼はしばらく考えさせてほしいとのことだったのでその1週間後に会った時に
「やっぱり今はまだ結婚できない。君をこれ以上縛り続けるわけにはいかないから別れるしかないよね・・?」
とのお返事でした。
言ってみれば私のプロポーズは断られたのです。
もちろん悲しい気持ちの方が大きかったですが、最後の一年は彼との関係性が私も本当に辛かったので、やっとこのトキシックな関係に終止符が打てる・・という開放感もありました。
その後はブログにも書き続けたように、完全に気持ちを切り替えて過去は振り返らず、結婚して子供が欲しいなら前に進むのみ、と自分を奮い立たせて婚活に励みました。
その結果ラッキーなことに信頼できるパートナーに出会えて結婚まで至り、念願の赤ちゃんまで授かった直後に再び現れた元彼。
少なくとも別れた直後に彼の本当の気持ちを私に伝えてくれていたら何か違っていたかもしれませんが、私のプロポーズを断ったくせに今さら「結婚したい」って言うなんて後出しジャンケンにもほどがあるだろ・・。
今はポン太くんのことが大好きだし、別れて元彼に戻るなんてことはあり得ず、どう考えても私が彼にしてあげられることは何もない。
元々彼と私のテンポの違いが付き合っている時から顕著で、このまま彼が結婚にその気になるのを待っていたら子供が産めない年齢になるかもしれない、と何度伝えても「まだ大丈夫だよ」とたかをくくっていたり、何よりもお願いだから何か仕事をして欲しいと何度頼んでもバイトすらしてくれなかった彼。
「今さら」でしかないと分かっていても彼からのアプローチと悲壮感が毎日のように繰り出され、なぜか私にも自己嫌悪に近い感情が湧き、彼への申し訳なさで私の精神も破壊されるところでした。
頭が完全におかしくなった彼はそれまで一枚の写真すら投稿しなかった自分のSNSに付き合っていた当時の私との思い出のツーショット写真を何枚もアップするという信じられない暴挙に出ます。
別れてから8ヶ月経った後に、です。
”僕が一生好きな人、さようなら”と言うタイトルでつらつらと自分の心情を長々綴った文章と共に私の顔が前面に出た写真を何枚も。
当の私は問題の投稿に全く気づかなかったのですが、彼のお友達が「これ大丈夫!?」と私に知らせてくれ、驚愕。
怒りがこみ上げました。
落ち込んでるのは分かるけど自分勝手すぎるだろう・・
私にはもう新しいパートナーがいるっていうのにありえない。
仕事中でしたがすぐに彼にメールして即刻削除してもらいました。
頭がおかしくなった彼はその後私のところに髪を切りに来る、と言う暴挙にも出ます。
そこでは全く喋らずただただ大人しく髪を切られる彼。
なんのために来たんだ一体、と努めて冷静になる私。
最後に車まで来て欲しいと言われ渋々付いていくと、車の前で立ち止まり泣きながら
「自分の気持ちが冷静になって落ち着くまでは会わない方がいいよね・・。しばらくは会うのこれで最後にしようって言いに来たんだ、今日は。うう・・。」
と言って妊娠線を予防するオイルを”誕生日プレゼント”としてくれた彼。
彼の最後の優しさに心が打たれ、不覚にもこちらもまた涙してしまいましたが、”これで終わったんだ”と大きな安堵感に包まれた私。
しかしこれで終わりにはなりませんでした。
つづく。
驚愕の夜
語り始めた元彼。
その内容は驚くべきもので、
- 去年の夏に別れた後、再び私を振り向かせようと急いで仕事を見つけ、前から興味があったコンピューター関係のオンラインコースを取って自分に自信をつけた。
- 最初っから元サヤに戻る気満々で、私に新しい彼氏がいようが関係ないと思っていた。
- 二人で心機一転新居に住もうと知り合いから新築アパートを借りる準備をしていた。
- 5年間の二人の思い出をまとめた4時間超えのビデオを作っていた。
- そのビデオを引っさげて私の誕生日にプロポーズしようとしていた。
などなど。
ビックリを通り越して正直呆れてしまいました。
別れた時は何日も話し合ってお互いこれ以上の関係修復は見込めないと判断した上で正式に別れました。
5年一緒にいたうちの最後の2年はお互いハッピーではなかったものの、私も彼のことをなかなか諦めきれず”きっとうまくいくはず”と目の前の課題から目をそらして別れる決断を先延ばしにしていた私たち。
”このままじゃダメだ。子供を持つという夢を半ば諦めて結婚もしてくれないこの人とダラダラ一緒にいたらいけない”
と心を鬼にして苦渋の決断で別れた私。
その後は自分の気持ちを整理・客観的に見つめるためにブログを開始し、死に物狂いで新しいパートナー探しに明け暮れた日々。
マッチングアプリを始めた時は何度も心が折れそうになり元彼のことが頭に浮かんで”彼に戻れたら楽だよなぁ・・”と思うこともしばしばありました。
それでも”楽な方に逃げたらダメだ”と自分を制してなんとかポン太くんにたどり着きました。
それなのに彼はその8ヶ月の間に彼の気持ちを一度も私に伝えることなく、また私たちの関係が復活すると勝手に信じて突き進んでいました。
私に新しい彼がいようがいまいが二人で築いた5年間はそう簡単に崩れるものではない、彼氏がいたとしてもきっとうまくいかずに別れて自分のところに戻ってくる、という出所不明の自信が彼を支えていたようでした。
私の誕生日にプロポーズをしてうまくいった暁には事前に用意しておいた新築のコンドミニアムで新生活を開始し、今までの暗い過去は捨てて明るい未来だけを見つめていくつもりだったそうです。
この驚くべき事実を彼が語り出す前に
私はこれから結婚して、お腹にはもう赤ちゃんがいます
ということを伝えていました。
彼氏がいる程度だったら怯みもしないけど、さすがに結婚・妊娠と来たらそれはもう無理だ、と感じたみたいで何時間も涙を流しながらダウンタウンの夜景が一望できる海沿いのベンチで辺りが真っ暗になるまで彼は話をやめませんでした。
「今さらそんなこと言われても・・」
としか思いようがなかった私は、最初は勘弁してくれよ〜と怒りの気持ちすら込み上げてきていましたが、
- 彼をかわいそうだと思う気持ちと
- なんで自分の気持ちをもっと早く言ってくれなかったんだという彼を責める気持ち
- 私だって別れたくなかったのに・・という昔を振り返って悲しくなる気持ち
が入り混じってこちらも涙が止まりませんでした。
別れた直後で彼の気持ちを私に正直に話してくれていたら戻っていたかもしれない、と思うととても複雑な気持ちにはなったものの、冷静に考えても彼に戻りたいという気持ちは一切ありませんでした。
ポン太くんと一緒にいられて今本当に幸せだし、赤ちゃんを授かったことも奇跡としか言いようがない。
「もう私にはどうしてあげることもできないよ。ごめんね。」
この場を離れたくなさそうな彼を促すように席を立ち、私たちは真っ暗なビーチを後にしました。
つづく。
元彼からの呼び出し
ちょっと前の話になりますが・・・
ポン太くんと結婚する数週間前に去年の夏に別れた元彼から連絡がありました。
「今週のどっかで会える?」
彼とは別れた直後に数回会ったり、3ヶ月ぐらいメッセージのやり取りをしていましたが、クリスマス以降4ヶ月半ほど全く連絡を取っていなかったので突然のメッセージに正直ドキッとしました。
え、でも待てよ。私は全然会いたくないけど。
私はもうポン太くんとの結婚が決まっているし、第一4ヶ月も連絡を取ってなかった人が急にヨリを戻したいなんて言う可能性はきっと低い。
じゃあなんで今更私に会いたいんだろう?
彼が私に会いたい理由が全く分からず、”WHY?”と聞こうと思ったのですが、言葉にとても敏感な彼にこう送るとキツく聞こえて傷つけちゃっても嫌だな、と思いここは何も聞かずに心穏やかに、分かった、とだけ返信した私。
彼が私にもう気持ちがなく、ただ友達として会いたいのだとしても、この短期間の間に私にはもう新しい彼がいて、その人と数週間後に結婚、さらにはお腹に赤ちゃんがいる、と知ったら少なからずショックを受けるだろうと思うと本当に会いたくなかったのですが、ここで「忙しいから」と曖昧にしたらきっと会えるまで何度も誘ってくるだろうと思い、意を決して会うことに。
友達としてでももう会わないほうがいいと伝える為にも会ったほうがいい、と自分を説得したものの本当に会いたくない気持ちが強く、胃が出そうな気分で当日を迎えました。
付き合っていた当時のように、私の仕事が終わる時間に車で迎えに来た彼は二人分の夜ご飯をレストランでオーダーしていてそれをピックアップした後、遠くのビーチに行ってもいいかと私に打診して来ました。
「え・・マジかよ・・早く帰りたいんだけど・・」
正直彼と長い時間一緒にいるつもりはさらさらなかったので、夜ご飯が用意されていることも、遠くのビーチに連れて行かれることも全く同意できず、むしろ引いたのですが彼なりにいろいろ計画したのだと自分をなだめ仕方なく車で30分ほどのところにあるキレイなビーチ沿いのピクニックテーブルで夜ご飯を食べることに。
気遣い満点の彼は私の為にブランケットやビールまで用意していました。(もちろんビールは断りましたが、普段だったら喜んで飲むのにおかしいな、と思ったと思います。)
持ち帰り弁当を一緒に食べながら彼が話し始めたことは彼の近況について。
実は彼、私と交際している間何年も就職できず苦しんでいた過去があります。
もちろん苦しんでいたのは彼だけではなく、私も相当苦しみました。
仕事がない、というよりはより好んで仕事を選んでいただけで、”なんでもいいから、スターバックスでもコストコでも何でもいいから何か仕事を始めて欲しい”と懇願する私の言葉も受け入れず、お坊ちゃんの彼は日雇いバイトすら始めませんでした。
”働かないなら私が働くから主夫になって欲しい”
それで子供ができたら子供の面倒見てくれれば私はすぐに仕事復帰できるし、といくら私が違う角度から彼を正当化しようと頑張っても彼は
「いや、働きたい」
の一点張りで受け入れず。
かと言って学校に通って新しい資格を取るでもなく、彼は一日中家にいるばかり。
別れに繋がった大きな原因は言うまでもなくこれです。
その彼が私と別れた直後についに職に就いたのです。
素直におめでとう!と嬉しかった反面、正直「え・・別れてから仕事始めるとかなんなの・・」と嫌な気持ちにもなりました。
幸いなことにその仕事がすごく好きで楽しんでいるみたいだったのですが、今はその仕事をお休みしてオンラインのコースを取っている、とのこと。
3ヶ月のかなり凝縮されたコースで一日10時間勉強しないといけないらしく、毎日家に缶詰で勉強の日々。
あと2週間で卒業するとのことで、2ヶ月半ぶりに外に出たと言う、本当か嘘か分からないことを言っていました。
その2週間後というのがちょうど私の誕生日に当たる日取りで、なぜか彼は
「君の誕生日の二日前に卒業できるんだ!本当に運命を感じたよ」
と繰り返し、私の中で内心嫌な予感が漂い始めていました。
話が進むにつれ、「今はまだコロナで旅行できないけどキャンプならできるから誕生日にキャンプに行くってのはどうかな?と思うんだけど・・?今誰かとデーティング(付き合ってたり)してたりするの?」
と聞いてきました。
え、今日会いたかった理由は私の誕生日空けといてって言う為だったの?
と思うと予想外すぎて引いてしまい、
「あー・・・」
と言葉を失いましたが、すかさず
「うん。今付き合ってる人いるよ。」
と答えると、一瞬パンチを食らった顔をしたものの、
「えー、すごい。早いね。どうやって見つけたの?見つけ方教えて〜」
となんでもないフリに転換。
「オンラインで見つけたんだけど、その人と結婚する予定だよ。」
とハッキリと告げました。
すると
「・・・へ〜・・」
となんとも言えないリアクションを取った彼。
すかさず
「そっちは彼女できた?」
と一応聞いてみると
「いや、できないよ・・。」
私「そうだよね・・。今勉強で忙しそうだもんね。」
彼「・・・違うよ・・」
そこから彼はゆっくりと私に対する想いを語り始めました。
つづく。