37歳からの血まなこ婚活日記

まさか自分がこの歳まで結婚できないなんて夢にも思わなかった売れ残り女子が、アラフォー目前にして本気の婚活を始めました

谷があったら山もある

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またまた血なまこブログから遠ざかってしまいましたが、

突然の父親の死から13日後、元気な男の子を出産しました。



結果から言うと、
計画出産だった割に、薬を投与した後も予定通りにお産が進まず、20時間の陣痛に耐えたものの、その長いお産のせいで赤ちゃんが疲れ、心拍が弱くなってき始めたため最終的に緊急帝王切開になってしまいました。


もし赤ちゃんが促進剤に耐えられそうもなかったら帝王切開になります、と最初から言われていたものの、それまで順調な妊娠生活を送っていた私は
「いや、私の赤ちゃんは耐えられるはず」
とどこからともなく来る自信がありました。


担当の先生が大体2、3時間おきに私の病室を訪れ触診で子宮口の開き具合を確認。


3センチ、4センチ、と毎回少しずつ開き始めてはいたのですが、9センチからはなかなか開かず・・。

本格的なお産に入る為には10センチの開きが必要でしたが、この最後の1センチが赤ちゃんの体力があるタイムリミットまでに広がらず

先生に、

「本当に言いにくいんだけど・・・とっても残念だけど、赤ちゃんの安全を考えたら帝王切開にする方がいいです・・」


と手を握られて告げられました。


自分の力で分娩したかった私はこの事実をなかなか受け入れられず号泣。


しかもこの20時間の間にモルヒネを打ち、無痛分娩のためのエピドレル(麻酔)まで打って陣痛を乗り切り、分娩に備えたのに、その1時間後に帝王切開にしますというこのバッドニュース。


どうしても「わかりました」と頷けない私でしたが、どう考えても赤ちゃんの無事が最優先なので涙ながらに承諾。


しかし12時間ほどずっと私の側にいてくれたナースが私を手術室に移送する準備をしてくれた時に破水と出血でびしょびしょになっている私のベッドを見て

「かなり出血しているのでもしかして子宮口が10センチに広がってるかも。最後に念のためもう一度触診してあげてもらえませんか?」

と担当医に連絡してくれました。


え?もしかして帝王切開じゃなくなるかも・・!

父親が空から見てくれていて自然分娩を後押ししてくれてるのかも!

と、またどこからともなく理由のない自信がフツフツと湧いてきたものの、結局子宮口は相変わらずの9センチ止まりでサラッと帝王切開が決定。


この時はさすがに諦めがつきました。


その後全く心の準備ができていない私は帝王切開についてなんの予備知識がなかった為、やっと赤ちゃんと会える!という楽しみよりも、”今から腹を切られる”という脅迫めいた恐怖に襲われ身体の震えは止まらず、吐き気まで催す始末。

緊急帝王切開の為、一刻も早く赤ちゃんを取り出さないといけないという状況下の先生方の準備の早さが私の恐怖心をさらに煽りました。


麻酔のせいで全身が氷水に漬けられているのかと思うほどキンキンに寒くなり、歯は音を立ててガクガクし、近くに物があったら落としてしまうほど左右に震える腕。


私をリラックスさせるための、出頭医の明瞭で丁寧な説明も左から右へと流れ、何一つ頭に入りませんでした。


こういう時にポン太くんに手を握っていて欲しいのに、メスが入れられる直前までは付添人は手術室に入れない決まりになっていたようで、この間はずっと付き添ってくれていたナースが私の手を握っていてくれてました。


その後手術服に着替えたポン太くんが登場し、藁にもすがる思いでナースからポン太くんの手に乗り替えた直後、私のお腹に容赦なくメスが入れられました。


当然痛みはなく、胸から下はカバーで覆われていて何も見えないので一体今何をされているかどんな風になっているか想像もつきませんでしたが、わずか5分後には「Wow He has a lot of hair!」と言うコメントが足元の方から聞こえ、その1分後には私の真隣にいた医師から「はい、赤ちゃん出るよ〜!」


え、もう!?


次の瞬間、ドラマでよく見る「おぎゃ〜おぎゃ〜」という産声が手術室に響き渡りました。

この時は”本当にオギャーって泣くんだ”ととても冷静でしたが、


ポン太くんがへその緒を切り、私の胸の上に生まれたばかりの息子を置かれた時は感動し過ぎて涙が止まりませんでした。


予定より3週間近く早く生まれてきた息子は2380gとかなり小さく、ガリガリでシワシワで見るからにか弱かったですが、保育器に入る必要もなく、身体チェックを全てクリア。


大きな問題もなく無事に生まれて来てくれたことに感謝の気持ちしか生まれませんでした。


誕生から1ヶ月半。


思えば父親が他界した、あの試練の1週間からすでに約2ヶ月が経過。


毎日息子の世話に追われるおかげで父親の死に思いを馳せる時間がぐっと減りはしましたが、未だに突然奈落の底に突き落とされたような気持ちになることがあります。


父親の死という人生最大のショックを和らげるかのように、その13日後に人生最大の喜びとして生まれて来た息子。
本当に人生って不思議だなぁ。


実はポン太くんのお父さんも数年前に他界しているので、息子にはおじいちゃんがいません。


生きていたらたくさん甘えさせてくれていたであろうおじいちゃんを失った自分の息子にもなんだか申し訳ない気持ちになっていましたが、あんなにガリガリだった彼も今では体重が倍になり、すくすく、ぶくぶく日に日に大きくなっております。


生後3ヶ月を待って日本に一時帰国し、父親のお墓参りに息子を連れて行って会わせてあげる予定です。


お墓の中から「抱っこしたかったなぁ〜」っていう心の叫びが聞こえるんじゃないかって予感がしてますが本当に聞こえて来たら恐怖ですね。


今は10時間の飛行機の中でスヤスヤ眠ってくれることを願う日々です。


つづく。