37歳からの血まなこ婚活日記

まさか自分がこの歳まで結婚できないなんて夢にも思わなかった売れ残り女子が、アラフォー目前にして本気の婚活を始めました

試練の1週間

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しばらくブログから離れていました。


というかブログを書いている場合じゃない出来事が起きてしまったのです。


私の父親が亡くなりました。


先々週の出来事です。


元々大酒飲みで肝臓の数値がかなり悪く、去年道端で倒れ、2ヶ月入院して以来5ヶ月ほどの断酒に成功していたのですが、今年の新年を祝おうとビール二本に手を出したことをきっかけに、また毎晩の飲酒が始まってしまいました。


医師からは去年の退院時に”これ以上飲んだら長く生きられません”、と言われていたのにもかかわらずアルコール依存症を発症している彼は自分の意思でお酒をやめることができず、死ぬはずがない、と先生たちの言葉をも信じていませんでした。



誰よりも私の結婚と妊娠を喜び、初孫が生まれてくるのを楽しみにしていた父。


母親や叔母から父の生活や飲酒の状況を聞いていた私は

「このままだったら赤ちゃんが生まれる前に死んじゃうんじゃないか」

という嫌な予感がしていました。


この不安な気持ちをぶつけてなんとか飲酒をやめてもらおうと、説得の電話をすると


「何言ってるの。大丈夫だよ〜。死ぬわけないって。もう分かったから。心配してくれてありがとう。でも大丈夫だからもうほっといてくれ。」

の一点張りで、電話するたびに私が同じことを言う為に数ヶ月前から父親は電話に出てくれなくなりました。


お酒をやめられないことで後ろめたい気持ちがあったのだと思います。


電話で話した時はいつも
「赤ちゃん生まれたらお母さんとカナダに遊びに行くからね」
「今ちゃんと旅行のお金貯めてるから」
「お金が貯まったらまたモンゴルにも行って馬で駆け回る」


乗馬が大好きだった父はモンゴルで一日中馬に乗っていたことがあって、それが楽しくて仕方なかったらしく、また行きたいと何度も何度も言っていました。

カナダに来ても絶対に乗馬したい、と意気込んでいて初孫が生まれるのを今か今かと待ち望んでいたのに・・。


電話で話すたびに、私は父が断酒できていないことに怒りを露わにし叱責していました。


今思えばあれはなんの意味もなかったことだし、そうすることによって父親は楽しい会話から一転、気分を害し私と電話すること自体気が進まなくなっていったのだと思います。


最後に会えたのは前回私が一時帰国した2020年の1月。
最後に電話で声を聞けたのはおそらく3ヶ月ほど前。


悔いが残ることだらけです。


臨月で飛行機に乗ることもできず、最期に立ち会うことはおろか、お通夜にもお葬式にも出られませんでした。


Zoomでリモートで参加したものの、自分の父親のお葬式にも出られないなんて・・。親不孝もいいところです。


父親が亡くなったと分かった翌日、私の妊娠検診があり、詳細なエコー検査に行かなければいけませんでした。


ショッキングな出来事は続くもので、お腹の赤ちゃんが週数にしてはかなり小さいことが告げられました。


36週と1日にして推定体重1.9kg。


ドクターから
「あなたは小さい人だから赤ちゃんが小さくても不思議ではないんだけど、それにしても小さすぎる。これは胎盤に何かしらの異常がある可能性を示していて、そうだとしたら赤ちゃんをお腹に入れておく方が危険。
37週になったら正期産になるからその日に促進剤で出してあげましょう。来週の水曜日ね。」


・・え?


日本とカナダの出産に対する考えはかなり違うところがあって、赤ちゃんが小さいと判断された場合、お腹の中で育てるのではなく、早めに出して外で栄養を与えて育てる、ということがしょっちゅうあるようで。


実際こちらで出産した日本人のお友達二人も全く同じように赤ちゃんのサイズが小さいがために促進剤で早めに産んでいました。


その事実は知っていたのですが、今までの検診では一度もそんなことをほのめかされたことはなかったし、私の赤ちゃんは標準サイズで大きくなっているとばかり信じていました。まさか今までその事実は分からず、こんなに急に告げられるとは・・。


でも来週の水曜日って・・。私まだ働いてるしその日・・。


妊娠の経過が順調で特につわりもなく仕事のスケジュールを変えることなく働いていた私は37週と2日まで仕事をする予定でした。


ドクターに37週と0日じゃないとダメなのか尋ねたところ
「うーん。金曜日にはもう赤ちゃん抱いてると思うよ。」

という衝撃的な答えが。


父親が昨日死んで、そのちょうど1週間後に新しい命が誕生する・・の!?


と思うとほぼパニック状態に陥り、頭の中は真っ白。


産休に入ったらやろうと思っていた赤ちゃん部屋・グッズの準備や断捨離なども何もまだ始めていない状態で、何よりも父親の死のショックで赤ちゃん誕生に向き合える精神状態では決してありませんでした。


頭も心もぐちゃぐちゃでただただ混乱の中にいる私でしたが、衝撃的な検診が終わり次第急いでいつも通り仕事に行き、頭を完全に切り替えて父親のことは考えずに笑顔で仕事をこなしました。


たまたまこの週に1週間休みを取っていたポン太くんに急遽赤ちゃんを迎える部屋の模様替えを頼み、この日から二人で家具の再配置、掃除、断捨離、ベビー用品の買い出し、収納を数日間かけて行うことになりました。


その間ほぼ毎深夜、父親とのお別れの儀式にZoomで参加し、毎日泣いて毎日寝不足で心も身体もボロボロ。さらに部屋も大荒れで文字通りすべてがぐちゃぐちゃでした。


こんなに辛い一週間を過ごしたのは人生で初めてです。


どう考えても今自分は赤ちゃんを産める状態ではない。


もし赤ちゃんが大丈夫なら1日でもいいから待ってもらえないだろうか・・。


水曜日からの仕事を全てキャンセルしたものの、火曜日までは仕事をすると決めたので、一日も休まないまま赤ちゃんを産むことになってしまうのは体力的にも精神的にも追いつかなくて無事に出産できたとしても確実にすぐにバテてしまう。



その間も二日に一回病院に通い赤ちゃんの状態を検査していて、サイズが小さいこと以外は全て異常がなかった為、


ドクターに遅らせてもらうよう頼もう。今はどうしても無理だ。全部を抱えきれない。


そう決めてドクターと話した結果、数日ぐらいなら遅らせても問題ないとの回答をいただきました。


本当に良かった。


結局担当ドクターが当直をする日の前日から子宮収縮剤を投入して、時間をかけて子宮口を開き、その後赤ちゃんの心拍が下がらないようだったら陣痛促進剤を打ち、分娩という流れに。


結果的に5日間の猶予をもらい、部屋も完全に片付き、私の心もだいぶ落ち着いてきました。


赤ちゃんは知ってか知らずかお腹の中で元気に動いてくれていて、今は無事に産まれてくれること願うばかりです。


自分の父親の生まれ変わりなのかもしれないと思うと複雑で仕方ないですが、今日からいよいよお産が始まりそうです。


つづく。